1988年大阪府出身。
2013年に広島市立大学芸術学部美術学科日本画専攻を卒業、
2018年同大学院博士後期課程を単位取得退学。
広島市立大学芸術学部 助教
主な個展に「符号化された景色」(ラピスギャラリー, 2020, 広島)、「ある家の虚偽記憶」(GALLERY RYO, 2022, 東京)。
主なグループ展に「新進芸術家選抜展 FAUSS」(3331 Arts Chiyoda, 2018, 東京)、
「WHAT is Art ? 」(WHAT CAFÉ, 2021, 東京)、「re」(biscuit gallery, 2022, 東京)などがある。
『作品は「記憶すること」「忘却すること」という、人間が持っている認知構造について言及しています。人間の記憶は、科学の世界では非常に曖昧なものとして定義されています。自分では事実として脳内に保管していると思っている記憶でも、月日とともに都合の良いように改変や忘却をしたり、別の出来事と混合したりと、無意識下で様々な操作が施されています。そのような認知心理学から考える「記憶の過程」に興味を抱いています。
私の絵画は、表層は単純に見えますが、多層的な工程を経て成り立っています。一枚の写真を基に、ペンによるドローイング、岩絵具を用いたペインティング、画像編集ソフトによる写真加工といった、異なる複数の方法で「描く」と「消す」を繰り返し行い、残った痕跡を合成した物を作品としています。「描く」と「消す」あるいは「描き直す」という作業の反復は、記憶が上書きされ事実から歪曲していく様子と似た性質を持っています。作品のベースには人物や風景が写った普遍的な写真がありますが、最終的に仕上がった作品からは、おそらくそれは想像ができません。記憶はそれほどに様子が変わってしまう物である事を表しています。一つのイメージを長いプロセスを通過させながら、何度も描き直しを繰り返す中で別の姿になっていく様子は、私たちが持っている、世界を認識する際のメカニズムを描いているようにも感じています。
カウンターの奥にキッチンが備え付けられている本スペース「ラピスギャラリー」は、普段はフードコーディネート等のレッスンが開かれているスタジオでもあります。本展ではこの環境を家族が集うダイニングルームに見立て、家族写真をベースに制作した作品を飾り付けています。
近作のシリーズタイトルである《正しい風景》は、その言葉の前に括弧つきで、「自分にとっての」という言葉が入ります。あくまでも作者である私にとっての正しさであり、そうした正しさは人の数だけ存在します。繰り返しになりますが、記憶というのは美化をともないます。捉えた事柄、経験を上書きし、修正し、部分的には削除する。それは事実とは呼べず、一種のフィクションのようなものです。認知心理学では、作り出された架空の記憶を「フォールスメモリー(過誤記憶・虚偽記憶)」という言葉で定義づけています。ありもしない出来事をあたかも事実として無自覚に認識してしまうのです。内的要因、外的要因、様々なケースがあるものの、精神の安定を保つための自己防衛本能の一種として、それらが起こると考えられています。例え変容された記憶であっても、自分にとっては正しさを帯びており、また愛着が生じている思い出でもあるため、一概に悪い物として扱えません。良し悪しの判断ではなく、むしろ私たちが持っているそうした機能を理解する方が、有意義ではないかと思っています。
社会とは個人の集まりです。それぞれの思想が集う事で、社会の「正しい」は形成されています。変容していく、或いは誰かが扇動的に変容させている社会について、私は作品を通して考察を続けています。』
大庭孝文